薬物中毒は薬物の依存成分のせいではない?
薬物の依存性は、薬物の成分に中毒性の物質があると考えられています。
麻薬に手を出すと、やめる時に禁断症状がでて止められないのは、
血中にその物質が低下して、それを欲するから・・・という考え方です。
例えば、たばこの中毒性分はニコチンで、血中のニコチンが低下すると、
煙草を吸いたくなる。
禁煙しようとすると、ニコチンが欲しくなる。
そして、治療ではニコチンのシールを張って、
徐々に体からニコチンを抜いていくということをします。
ただ、この中毒性というのは、物質の性質によるものではなく、
別の要因が強いという研究発表がありました。
麻薬の中毒性を示す実験で、
ネズミに普通の水とコカイン入りの水を自由に飲めるようにし、
檻の中で飼った場合、コカイン入りの水を好んで飲むようになり、
やがて死んでしまうというものがあります。
これはネズミが1匹だったからではないか?
そんな疑問を抱いた先生(ゴールドシュタイン教授)がおり、
その理論を証明するために、雄雌複数のネズミを広くて遊具を沢山用意した
ラットパークと呼ばれるものを作り、観察した結果、
コカイン水を好んで飲んだネズミは1匹もいなかったそうです。
まあ、コカインなりニコチンなり、中毒性があるのは間違いないわけですが、
それに手を染めてしまうのは「孤独」が根本的な原因ではないかと。
中毒というのはつながりの危機であるというのです。
麻薬中毒者が一度更生しても、再び手を出してしまうのは
中毒患者に対し、社会が排除的です。
社会から隔離し、職に就くのも困難。
世間の罵声にさらされます。
中毒患者に最も必要なのがつながりであり、
これは個人の問題ではなく、社会の問題だというわけです。
なかなか考えさせられる話ですね。
まあ、このラットパークの実験は1960年代に行われたものですから、
あまり受入れられていない仮説なんでしょうね。
人の行動は「快」を得るためか「不快」を避けるために行動します。
そして行動原理では「不快」を避けるための行動の方が、圧倒的に強いです。
通常は、麻薬を使うことは「快」を得ようとすることなので、
その中毒性になって社会的に迫害されるという「不快」を避けるのが普通です。
ただ、「不快」から逃れたいと思うような現状だと、
「不快」から逃れるために麻薬に手を出さないといけなくなる
ということなんでしょう。
まあ、何を言っても言い訳に聞こえちゃいますね。。。
意志が弱いと一蹴されそうです。
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